ワシリー・カンディンスキー Wassily Kandinsky
作家情報
- 国籍
- ロシア
- 生年月日
- 1866/12/04
- 享年
- 1944
- 性別
- 男
- 概要
-
ロシア出身の画家であり、美術理論家であった。一般に、抽象絵画の創始者とされる。ドイツ及びフランスでも活躍し、のちに両国の国籍を取得した。
引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC…
[ 続きを表示 ] - 来歴
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彼はモスクワに生まれ子供時代をオデッサで過ごした。1886年から1892年まで、モスクワ大学で法律と政治経済を学ぶ。
1896年にミュンヘンで絵の勉強を始め、象徴主義の大家フランツ・フォン・シュトゥックに師事する。1902年、ベルリンの分離派展に出品。1904年からはパリのサロン・ドートンヌにも出品している。1909年には新ミュンヘン美術家協会会長となるが、1911年にはフランツ・マルクとともに脱退して「青騎士」(デア・ブラウエ・ライター)を結成した。その間の1910年に最初の抽象画を手掛け、絵画表現の歴史の新たな一歩を記している。代表作の『コンポジション』シリーズはこの最初のドイツ滞在期に制作された。
革命後、1918年にモスクワに戻った。当時のソ連では前衛芸術はウラジーミル・レーニンによって「革命的」として認められており、カンディンスキーは政治委員などを務めた。しかし、ヨシフ・スターリンが台頭するにつれ前衛芸術が軽視されるようになり、スターリンが共産党書記長に就く直前の1921年に再びモスクワを離れてドイツへと向かった。
1922年からはバウハウスで教官を務め、1933年にナチス・ドイツによってバウハウス自体が閉鎖されるまで勤務した。1941年にフランスがナチスによって占領されたのにも関わらず、彼はアメリカへの移住を拒否し続け、パリ郊外に位置するヌイイ=シュル=セーヌでその生涯を閉じた。なお、1928年にはドイツ国籍、1939年にはフランス国籍を取得している。
ピエト・モンドリアンやカジミール・マレーヴィチとともに彼は抽象絵画の先駆者として位置づけられている。また、多くの著作を残しており、美術理論家としても著名である。
ナチス占領下のフランスでは、作品の展示を禁止されたり、彼について論じることを禁止されるなど、不遇のまま亡くなった。1967年に未亡人のニーナが、晩年の彼を支えた事でレジオンドヌール勲章を受け、完全に復権した。
引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC…
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取引情報
日時 | 作品名 | 取引場所 | 落札額 | 備考 |
---|---|---|---|---|
2020/03/19 | KLEINE WELTEN III (R. 166) | サザビーズ | 2,975,000円 | |
2020/03/19 | KLEINE WELTEN I (R. 164) | サザビーズ | 2,625,000円 | |
2020/03/19 | KLEINE WELTEN II (R. 165) | サザビーズ | 未落札 |
- 日時
- 2020/03/19
- 作品名
- KLEINE WELTEN III (R. 166)
- 取引場所
- サザビーズ
- 落札額
- 未落札
- 備考
- 日時
- 2020/03/19
- 作品名
- KLEINE WELTEN I (R. 164)
- 取引場所
- サザビーズ
- 落札額
- 未落札
- 備考
- 日時
- 2020/03/19
- 作品名
- KLEINE WELTEN II (R. 165)
- 取引場所
- サザビーズ
- 落札額
- 未落札
- 備考
取引グラフ
流通額(円換算)
流通数
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