井上有一

作家情報
- 国籍
- 日本
- 生年月日
- 1916/02/14
- 享年
- 1985
- 性別
- 男
- 概要
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日本の教育者・書家。上田桑鳩に師事して書道を学ぶも、1952年に伝統と決別し「墨人会」を結成、”アートとしての書”を目指す。早くから海外で注目され、1956年クンストハレ・バーゼル(スイス)で展示。翌年のサンパウロ・ビエンナーレ出展時にはイギリスの批評家ハーバード・リードに絶賛された。第2回カッセル・ドクメンタ(ドイツ)、カーネギー国際展(ニューヨーク)などへも立て続けに出展、1962年と65年にはケルンのツヴィルナー画廊で個展を開催した。メディウムに変化を加えつつ、大きな表現空間に泳ぐ墨色一色の「一字書」は人々を魅了して止まない。とりわけ「貧」の一字は、井上の精神性を象徴する代表作となる。職業芸術家になることを拒絶し、生涯を教員として過ごす。…
[ 続きを表示 ] - 来歴
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東京市下谷区(現在の東京都台東区)出身。1935年、青山師範学校を卒業後に小学校の教員をしながら画家を目指すが挫折、1941年に上田桑鳩の弟子となって書道に転向する。東京大空襲に巻き込まれて生死の境を彷徨ったこともある。戦後、保守的な書道界に対する反発から師の下を離れて、森田子龍・江口草玄・中村木子・関谷義道と「墨人会」を結成して前衛的な書道を意図するようになる。以降は教員生活を続けながら創作活動を行い、内外の書道展・美術展に作品を発表する。特に1957年にブラジルのサンパウロ・ビエンナーレに出展した『愚徹』がイギリスの美術評論家であるハーバード・リードに絶賛されたことからその名は海外で知られるようになった。同じ頃、神奈川県茅ケ崎市の菱沼海岸にアトリエを設置して創作活動の舞台とした。1958年に開かれたブリュッセル万国博覧会「近代美術の50年展」に手島右卿とともに日本を代表する書家として作品を出展する。1971年に神奈川県の寒川町立旭小学校の校長に就任したのをきっかけに1975年にアトリエを寒川町に移し、翌1976年定年で校長職を退いてからは芸術活動に専念する。1985年に肝不全により69歳で死去。…
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取引グラフ
流通額(円換算)
流通数
平均単価(円換算)
落札率
作品数
落札額/見積HIGHの平均