ロバート・ライマン Robert Ryman

作家情報

国籍
アメリカ   
生年月日
1930/05/30 
享年
2019 
性別
男 
概要
正方形というフォーマットに白一色で描かれた作品群から“白の画家”と呼ばれる。「何を描くかではなく、どのように描くかが常に重要」と語る。支持体と呼ばれる画材は、紙やキャンバスにとどまらず、金属まで使われる。「絵具や絵筆がどう機能しているのかを解明することに興味がある」と語るが、こうした見方が、白と正方形を使った表現形態に結びついた。作画的な意図というよりむしろ、素材や質感、大きさといった物質的側面に鑑賞者の目を向かせる仕掛けでもある。また、塗りは作品によって姿を変え、ときに音楽的でもあり、陰影を生み、反射を生み、白という色に無限の色彩を感じさせる。2004年に川村記念美術館で回顧展が開催された。
引用元:https://www.praemiumimperiale.org/ja/laureate/laureates/ryman
 
来歴
テネシー州、ナッシュビルに生まれる。1948年から1949年にクックビルのテネシー工科大学、1949年から1950年にピーボディ大学で学んだ後、アメリカ軍予備軍部隊の軍楽隊として朝鮮戦争に赴く。1953年にニューヨークに移り、プロのジャズサックス奏者になろうとし、ジャズピアニスト、レニー・トリスターノにピアノを師事する。その後、MoMAの警備員となり、アーティストのソル・ルウィットとダン・フレイヴィンに出会い共にMoMAにて働き、翌年よりニューヨーク市図書館の美術工芸課にて働く。彼は1950年代にアーティストのロイ・リキテンスタインにも出会う。

マーク・ロスコ、ウィレム・デ・クーニング、クライフォード・スティル、ジャクソン・ポロック、バーネット・ニューマンなどの抽象表現主義に影響を受けたライマンはペインティング活動に興味を持つ。1953年から1960年にかけ、MoMAの絵画作品を間近で見るために警備員として働く 。1955年に彼はいくつかの画材を地元店にて購入し、アパートで実験を始めた。その年、ライマンは初期の大きなモノクローム絵画「Untitled(無題)」(1955-59年)を完成させた。

ライマンは修復管理のオリン H. ライリー(ORRIN H. RILEY)と親しくなった。彼は頻繁にライリーに記録素材のアドバイスをし、アーティストが興味をもって使う媒体の酸化のテストを何度もした。彼はテレビの脚本家とプロデューサー、バーバラリー・ディアモンステイン(Barbaralee Diamonstein)のビデオプロダクションから2度のインタビューを受けた。1979年「Inside New York's Art World」と1993年「Inside the Art World 」。

1961年、美術史家のルーシー・リパードと結婚。1964年に息子イーサン・ライマンを持ち、彼はサウンドエンジニアで近年は芸術制作をしている。離婚後、アーティストのメリル・ワグナーと再婚。息子のコーディー・ライマンとウィル・ライマンは共にアーティストとして、ニューヨークで活躍している。

2019年2月9日、ニューヨークの自宅にて死去。88歳没。
引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%9E%E3%83%B3
 
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取引情報

日時 作品名 取引場所 落札額 備考
2020/03/04  Robert Ryman Prints 1969-1993  クリスティーズ  476,875円   
日時
2020/03/04 
作品名
Robert Ryman Prints 1969-1993 
取引場所
クリスティーズ 
落札額
476,875円 
備考
 

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  • Robert Ryman Prints 1969-1993

    ロバート・ライマン Robert Ryman

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