田淵安一

作家情報
- 国籍
- 日本
- 生年月日
- 1921/05/20
- 享年
- 2009
- 性別
- 男
- 概要
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母の影響で幼児よりビアズリー、ラファエル前派等の雰囲気に親しむ。戦後、東京大学美術史学科に入学すると同時に、猪熊弦一郎の研究所で油彩画を学ぶ。1948年、新制作協会展に出品し岡田賞を受賞した翌年東京大学を卒業、1951年渡仏しコブラ(COBRA)系の作家たちによる北欧の螺旋模様や組紐模様から着想を得た作品を発表。60年代前後、宗達を思わせる単色の水墨画的アンフォルメル作品を試みた後、62年頃からはカラリストとしての資質を明らかにし、70年代以降錯綜し増殖する極彩色のタッチ・線・面からなる複数のイメージを非連動のまま合成した独自の抽象絵画に取り組む。83年パリでの個展以来金箔の魅力に捉えられ金を用いたシリーズを発表した。近年の風景画の連作では木々や田園の眺めを大画面に描きとめている。
引用元:https://www.momak.go.jp/Japanese/collectionGalleryArchive/2010/history/tabuchi.html…
[ 続きを表示 ] - 来歴
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1921年に福岡県小倉市(現・北九州市)に生まれ、母親の影響で幼少時からオーブリー・ビアズリーやラファエル前派などに親しんだ。1941年に第三高等学校(現・京都大学)文科丙類に入学。中学時代から絵画制作を行っており、三高在学中の1942年と1943年には京都市美術展に入選している。1943年には学徒動員で日本国海軍に入隊し、米子海軍航空基地で太平洋戦争終戦を迎えた。
終戦直後の1945年には東京大学文学部美術史学科に入学して猪熊弦一郎に師事、1948年には東京大学大学院に進学した。ウジェーヌ・ドラクロワ以降のフランス美術を研究、新制作派協会展に作品を出品し続け、新制作派協会展では1947年の第11回と1949年の第13回で入選、第13回では岡田賞を受賞している。
1951年には金山康喜、関口俊吾とともにフランスに渡り、私費留学生としてソルボンヌ大学に在籍。最初の2年間は作品制作よりもヨーロッパ各地を旅行することに熱心だった。フランスで活動していた佐野繁次郎、岡本太郎、菅井汲、今井俊満らと交友し、前衛芸術運動コブラのジャン・ミシェル・アトラン(フランス語版)などの抽象画家を知った。渡仏当初は具象的な作品を制作していたが、やがて当時のヨーロッパ画壇で主流だった抽象表現主義の作風に変化した。1954年にデンマーク・コペンハーゲンのノアノア画廊で初の個展を開催し、1955年にはサロン・ド・メ(英語版)に初めて招待された。
1959年にはパリ郊外のヴォアランに転居。1961年には10年ぶりに日本に帰国し、東南アジアとインドを旅行してからパリに戻った。1967年に第1回インド・トリエンナーレに出品した際にはインド中央部を旅行して影響を受け、以後は鮮やかな原色を多用して具象・抽象の枠を超えた作品を制作するようになった。1971年にはアルネ・ヤコブセンが設計したデンマーク・コペンハーゲンのアメリカン・エキスプレス社屋の陶壁画を制作。
1985年にはフランス政府より芸術文化勲章オフィシエを受章している。1993年には大阪南港のアジア太平洋トレードセンター(ATC)の巨大壁画(2,900m2)を制作。長らくパーキンソン病を患い、2009年11月24日にパリの自宅で死去した。
引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E6%B7%B5%E5%AE%89%E4%B8%80…
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